震災20年を迎えて

今日、あの阪神・淡路大震災から20年を迎えた。

20年前、私は関西学院大学の1年生だった。大学入学直後に、友人たちとともに家庭教師のサークルを作り、活動していた。
そして、1995年1月17日を迎えた。
その日、私は神戸にある実家にいた。
激しい揺れが私を襲った。でも、すぐに地震だとは思わなかった。
徐々に日が昇るにつれ、周囲の家が倒壊していたり、遠くでは煙が上がっている様子が目に入った。
大規模な地震が、神戸で起きたことをやっと認識した。
その後、私は家族とともに神戸を離れ、避難生活をすることとなった。

震災から1週間後くらいに大学に行った。
そこで家庭教師サークルをしていた友達たちと再会した。
ある友達が「ボランティアで家庭教師を派遣しよう」と言い出した。
その友達は夜遅く避難所で参考書を広げて勉強している中学生の様子をテレビで見たという。
そんな子どもたちのところに家庭教師を派遣しようというのだ。
あまり物事を深く考えない私たちは、早速、企画書を作り、新聞社に送った。
するとすぐにその情報がいくつかの新聞に掲載され、事務所代わりに使っていた友達が一人暮らしをしているワンルームマンションの電話はひたすら鳴り続けた。

地震で子どもが怪我をして入院している。病院まで家庭教師を派遣してもらえないか」
「避難所で生活しているのだが、そこで勉強を教えてほしい」
「高校の受験を控えているが、地震のショックで勉強が手につかない。子どものそばにいてほしい」

そんな依頼が被災地の各所から届いた。
同時に、ボランティアとして家庭教師をする大学生の募集も行った。
中には80歳を超えるご高齢の方が、身体は動かないが、勉強なら教えられるとボランティアに申し込まれたこともあった。

結局、200人以上の大学生たちが、150件ほどの家庭や病院、避難所などに訪問し、子どもたちに勉強を教えた。
もちろん、震災直後なので、平常時のように勉強だけをしている訳にはいかない。
時には子どもと一緒に遊んだり、子どもの相談に乗ることもあった。

やがて、入試も終わり、勉強だけでなく、遊びのニーズも増えていった。
そこで、私たちはキャンプやハイキングなどのレクリエーション活動もすることになった。

そして、その活動が、なんだかんだで今日まで続いている。

もとはといえば、学生のバイト話が始まりだったが、震災によってその方向性が大きく変えられ、いまに至っている。

もし震災がなければ、いまの私たちの活動はなかっただろうと思う。

震災は大きな悲劇だったが、震災によって生み出されたものもある。

震災から20年目の今日、これまでのことを色々と振り返ってみる。

私たちはこの街の子どもをしっかりと支えてこれたのだろうか。
私たちはこの街を支える子どもをしっかりと生み出してきたのだろうか。
私たちはこの街の復興をしっかりと担えてきたのだろうか。

はっきりとした答えはまだわからないが、この20年の間に関わってきた数万人の子どもたちの中に、少しでも私たちの思いを埋め込むことができていればと思う。(のじま)

↓↓震災から現在までの私たちの活動をまとめたスライドです↓↓


↓↓創立20周年を機に私たちの活動をまとめた動画です↓↓