子どもの「よい」将来とは?

先週は子どもの将来に大きな影響をあたえるのは、学力ではなく、非認知スキルであるということを書いた。では、「子どもの将来」といったときに、我々はどのようなものをイメージするのだろうか。もっといえば、子どもたちが将来、どのような状態になれば、「成功した」と言えるのだろうか。
例えば、アメリカの研究では、非認知スキルの高い子どもは将来において、最終学歴が高く、所得が高く、持ち家率が高く、犯罪率が低いという。では、最終学歴が高く、所得が高く、家を持ち、犯罪をしなければ、その子どもは「成功した」といえるのだろうか。
日々、子どもたちの成長に関わる私たちは何を持って、「子どもの成功」というのだろうか。どのような子どもたちを生み出せば自分たちの活動は成功だったといえるのだろうか。私たちはどのような子どもたちを生み出そうとしているのか。そんあ問いが出てくる。
おそらく、親も学校の先生も、子どもの将来がよくなることを願って日々、子どもたちに接しているに違いない。では、「よくなる」というのはどのようなことを意味するのか。
それは学力が高いことなのか、学歴が高いことなのか、よい企業に就職することなのか、所得が高いことなのか、健康であることなのか、長寿することなのか、結婚して子どもを持つことなのか。果たして我々が描く子どもの「よい将来」というのはどのようなものなのか。
実は子どもに関わる人々によってそのイメージは大きく異なるように思う。イメージだけでなく、「将来」といったときの時間的長さも異なっているだろう。例えば中3や高3の子どもを抱える親や教師なら、進学先という極めて短期的な目標をイメージするだろう。しかし、大切なのはどのような進学先になるのかということなのか。
80年近い子どもの人生を考えたときに、1年というスパンは短すぎるのかもしれない。では、いつの時点で、どのような状態になっていればよいのか。
それらの問いに唯一の答えはないだろう。それぞれの価値観、人生観によって答えは異なるかもしれない。ただ、そのことをしっかりと考え続ける姿勢は大切だと思う。(のじま)