大学で学ぶことは多いかもしれない

NPOに就職をして5年が経った。学生と一緒に仕事をしているので、大学生が「授業があるので・・」と言われると仕方がないなと思うが、一方で「授業よりも大事なものがあるだろう!」と憤りのない感情を抱いたりすることもある。
きっとそれは僕が大学の授業に真面目に出ていなく、授業をまともに聞いていなかったから面白さに気づけていなかったからかもしれない。

ただ最近感じていたことだが、実は大学で学ぶことは意外と多かったのではないかと考えている。

僕は関学ではなく、関西大学というところで経済学を学んでいた。
入試当時は社会の先生になりたかったこともあり、教育学的なものを学ぶよりも現代社会などを熟知した方が面白い授業ができるんじゃないかと思って、経済学部などを受験して受かった大学である。
大学で何を勉強していたかというとゼミでは、「労働経済学」について学んでいた。
長時間労働」「過労死」「過労死ライン」「労働基準法」「非正規雇用」などそんなワードがひたすら並んだ本を読み漁っていた。

担当してくれた教授も定年後に再雇用で名誉教授になった方で、
ほとんど何を言っているのか分からないし、名前を覚えられることもないので、ゼミは楽で面白かった。
メンバーも先生が社会は多様であるべきということで、いろんな人がいた。
真面目な子、ギャルみたいな恰好の子、スポーツしかやってきてなかった子・・
普段決して交わることのない人たちだからこそ、一緒に研究をしても話はかみ合わないが、独創的な意見も出て、面白かった。メンバーとは今でもご飯に行ったりする。

ゼミでは、僕は飲み会で先生を酔わせて早く帰す(and飲み会のカンパをもらう)係だったので、それなりにいろいろと話をした。
教授の最高年収や印税の話など生々しい話も聞いたりした。
だからかもしれないが、4回生になってからは年間で2・3回しかゼミに行っていないのに、秀とか好成績をくれたのかもしれない。

ブラック企業にだけはいくな」と言われて選んだNPOという就職もあとで応援してくれていたのも先生だった。

長々とこんなことを書いてしまったが、
今週そんな先生が慢性心不全で逝去したと報告を受けた。

先生から学んだことが多いわけではないし、恩師だとかそういう関係ではないが、
過労死だとか、長時間労働だとか、そんな人たちの事例を聞いている中で、
労働時間が短くなれば、ひとは幸せになれるのだろうかという疑問が自分の中で出てきたのは事実である。

世の中とは逸脱しているかもしれないが、
今自分の働き方には満足しているし、労働時間うんぬんよりも、
社会や学生やこどもたちに注力できていることに喜びを感じながら働けている。
NPOという職業に就職する若者が増えてくれればと思って入社したのも事実である。

NPOで働いているのは、こういう大学での学びがあったからかもしれない。

直接的な知識として得たものはないが、
自分の中で突き刺さる何かができるという意味では、
大学というところでの学びは非常に深いのかもしれない。

先生のご冥福をお祈りし、この文章を書かせていただきました。
人生に残る学びをありがとうございました。

(片岡)