「違いを作れる選手」

ワールドカップシーズン

私は野球派ですがやはりワールドカップやユーロの大会は見てしまう。
本来であれば職員や理事をサッカー選手に例えると的なやつをやりたいのだが、
サッカーの知識が乏しいのでこの辺は片岡くんや福井くんに任せようと思う。

さて、サッカーのニュースを見ていると「違いを作る選手」という言葉がよく出てくる

「意外性のあるパス」で場面を変える、「場の雰囲気を変える選手」という意味で使われているこの言葉、
かつてのファンタジスタというのと近いのだろうか?
いやファンタジスタとはロベルト・バッジョのための言葉であろうか?

話を戻してサッカーに関わらず「違いを作れる選手」というものは組織において必要なのかもしれない。

特にBHは毎年メンバーの入れ替わりがあるのでチームの流動性も高い
通常の組織よりも「違いを作れる選手」が入ってきやすい環境でもある
また、「違いを作れる選手」が入ってくるとやはり文字通りチームや組織の雰囲気は変わるのかもしれない。
そんな選手が入ってくればいいと思うし、入ってきたら面白うだろうなとも思う

しかし私は「違いを作れる選手」よりも愚直でがんばっている選手のほうが好きだ。
一瞬で場の雰囲気を変えるような選手よりも、何十キロも走れる選手のほうが、
目立たなくても裏でディフェンスをしている選手のほうが好きだ。

組織の全員が「違いを作れる選手」なのであればおそらく方向性を失いすぐに散ってしまうだろう。
「違いを作れる選手」を作っているのはもしかすると他の10人の選手なのかもしれない。

きっと組織を支えているのは「違いを作れる選手」ではなく目立たずとも愚直に自分がすべきことをしている選手なのだろうと思う。

もちろん「違いを作れる選手」を否定しているわけではない。
彼らももちろんそんな愚直な努力をしている1人だろうと思う。
「違いを作れる選手」と呼ばれる選手のプレーを見ているのが大好きだ。

ただ、なんとなくニュースで取り入れられがちな「違いを作れる選手」というものに違和感を感じただけである。

私は違いは作れなくてもいいので、目立たなくても、愚直に、誰かのためにひた走るそんな選手が多い組織にしたいと思う。
1回のワールドカップの優勝よりも10回連続でワールドカップ予選を通過できるチームがいいと思う。
大きく目立たずともいつもそこにいるなと言われるようなチームがいいと思う。
一瞬で場の雰囲気は変えれなくとも、少しずつ少しずついい方向へ曲がっていくようなそんなチームがいいと思う。

とにかく日本がんばれ!!

松本