まいせるふいんあろっとおぶぴーぽー

たくさんの人がいる集団で過ごすとき、自分はその中の一部分にすぎないのか、自分がその集団をつくりあげている構成要因なのか、どちらを意識するかによって、自分自身が得るものが変わるなと最近痛感しました。

春学期が始まって、調子に乗って英語開講の授業をとったときです。

その日は一回目の授業だったのでオリエンテーション程度だったのですが、先生はいろんな意見を私たちに求めました。自分を含む日本人の学生は、黙ったままでしたが、先生の目の前に座っていたある留学生は、先生が話し終わらないうちに(食い気味に)自分の言いたいことをしゃべりまくっていました。英語が独特すぎて何ゆうてるのかあんまりわからなかったのですが、とにかく「あいつは何者なんや、、」と圧倒されました。かと思えば、他の学生が話しているときはスマホをいじりだして、全く他人の発言に興味がなさげ。でも、その姿を見ても先生は注意する様子はありませんでした。

日本と外国の授業の方式が違うということもあるとは思いますが、私が今まで受けてきた授業では話を聞くだけ、受け身の状態のものがほとんどでした。でも、一度留学生と同じ授業を受けてみて、こういう形も面白いなと思いました。私に衝撃を与えた留学生は、日本形式の授業ではいい学生とは言えないですが、先生が注意しなかったのは、彼が授業をつくることに貢献していたからではないかと思います。そして、彼は何もしなかった私たちより得たものが大きいのではないかと思います。

授業だけじゃなくても、普段の生活の中で集団で活動することはたくさんありますが、受け身になって周りに合わせていくのか、自分でやっているという意識をもってやるかは自分次第。

もしかしたら、たいていのことは流れに身を任せていけば何となくうまくいくのかもしれないです。

でも私が今まで自分で何かやる!と決めてやったことは、自分が思っていた以上の結果を出せたような気がします。

気づけば自分も大学二年になっていて、フレッシュ感が失われるとともに、今の環境に慣れてしまって、自分で意思をもって何かをやり遂げるということを避けていました。

こんなことをゆってしまったら、何か特別なことをはじめるのか、と問い詰められそうですが、、、今のところこれといった計画はありません(汗)ですが自分がやるべきことは主体性をもって、遂行していきたいです。

鶴谷