失敗することが怖い

学生に失敗を恐れずに挑戦しろって簡単に言うけど私も失敗するのがかなり怖い
失敗を恐れるなと簡単に言うけれど、
やはり失敗は怖いし、嫌だと心の底から思う。

それはなんでかなと考えたとき、
自分自身が周りの評価を必要以上に気にしているかもしれないし
周りの期待に応えられない自分が嫌なのかもしれない
もしくは金銭的または物理的な被害を被る可能性があるからかもしれない

失敗が怖いんだろうなというシーンは、
大学生のみんなのミーディングを見ていても思うときがある。

決めるのが怖くてみんなに意見を求めて全員の同意を得ようする
同意が得られなければ何も決めずに次に持ち越す。
ペンディングとかコンセンサスとかいうかっこいい横文字を使って、
なんとなく会議をした気になっているのかもしれない。

ただその行為はただ責任を分散させているだけで、
自分がそうしようと決めて責任が集まるのを嫌っているように見える

だから、時たま彗星のように現れる決めてくれる人に群がってしまうのかもしれない
それは誰かが決めてくれたほうが楽でなにかあったときにその人が責任を取ってくれるからだ

では、失敗しないためにはどうしたらいいのだろうか?
時間がある場合は、失敗しないくらい事前に根回しをしたり準備をすることだろう。
行けるとほぼ確信ができればボタンを押すのは怖くない。

議論の場合はどうだろう
その場合は、考えて考えて考えて自分が納得できる答えを導き出すしかないと思う。
論理的に慎重に思考を積み上げていく。
別に正しい答えは誰も知らないし、正解もない。
最後のボタンを押す瞬間は自分自身への納得性しかないと思う。

私は決してみんなで決めるということに否定的なのではない
みんなの合意を取ることは重要だし、声の大きい人が決めれば独裁になってしまう

ただ、仲良く合意を取るのではなく、自分の意見をきちんと主張し、
時には意見をぶつけ合わせてでも決めないといけない。
それは時間がかかるし、精神もすり減る。
ただ、失敗した時の自分への言い訳や納得感は格段に増すと思う。

決めるという行為を誰かに任せてしまうことは簡単だ
でもそんな決定になんの心があるのだろうか
どんな想いが込められているのだろうか

決めたことが間違ってたとか、失敗したとかはあるのかもしれない
ただ、決めるというプロセスを踏んだものとそうでない人の差は大きいと思う

松本