誰かのために考えられる強さ

なんとなく思う

どれだけ誰かのために必死になれるか
どれだけ誰かのことを考えられるか
どれだけ誰かと一緒に考えられるか

もし誰か困っていたら
その人がもし答えがわからなくなっていたら
その答えが自分もわらかないとして
唯一できることは一緒に考えることだと思う

答えのない問題は山のようにある
その時に大切なのは答えを見ることではなくて、自分なりの答えを見つけるために考えることだと思う

正しいか正しくないかなんてそんなに大切なことじゃないと思う

正しいとは相手の意見に近いという程度のことなのだから

相手の意見にあう正しい意見が大切なのではなく、自分の正しさのために考えることに意味があるのだと思う

もしそれがダメだったとしても、本気の失敗には価値があるのだから

だから1年生と2年生はいっぱい考えて欲しいと思う。目の前のことが当たり前ではないという前提でいろんなことに疑問を持って欲しい。いろんなことをすぐに受け入れないで欲しい。

上回生は寄り添って一緒に考えてあげて欲しいと思う。ただルールだからと教えるのではなく、ゼロから一緒考えてあげて欲しいと思う。

それはとても時間のかかる、とてもめんどくさいことなのだ。

ただ、誰かが自分の味方だと知った時、それはとても嬉しいことだと思う。一緒に考えていると思うと頼もしく思う。

合理的や効率的ではない部分が必要だと思う。

そんなことを思う1日でした

松本