学生だからってなめんじゃねーよ

今日から東京でキャリア教育の研修です。
全国から集まった事業者のメンバーと30名ほどの学生と一緒にこれからのキャリア教育について話します。

とはいっても、話す内容は変えた方がいいだろうということで、
大人と学生とで分かれてディスカッションを行いました。

色々とテーマを決めて話やワークをしていくのですが、
個人的には同じキャリア教育と言葉を使っていても、各地域によって進捗が違うんだなというところがおもしろかったです。
関西では、「キャリア教育」という言葉はおそらく、高校のほとんどの先生が必要性を理解して、
NPOなどの外部が入ることもそこまで珍しくなくなってきているような気がしています。
なので、学校からすれば、いろいろあるプロフラムの中でどれを選択するのかということができる様になったと思っています。

ただ、関西でも数年前までは、学校の扉はかなり固く、
渉外にいっても、話すら聞いてくれないこともありました。

それが地域によって、東北や九州ではまだまだ学校の扉は重いということが、
当たり前の様だけど、改めて知っておもしろいなと思ったりしていました。

夜は懇親会で大人チームと大学生チームが交えて、それぞれ何をやっていたのかを話をしたり、
大学生リーダーが考えたコンテンツを行うことをしました。

ただ、大人チームの態度が良くなかったのか、
若干、学生チームのやっていることに対して、「もっとこうしたら」みたいな大人チームからの指摘もあり、
空気は重くなっていき、ある学生が言いました。

「そもそも大人と学生という風に区切られるのは嫌だし、どちらかが正しいとかそういう話じゃないと思う。学生も事前にアンケートをとって、全員が話したいことを話せるようなコンテンツを考えてやっている。確かに浅いところもあるかもしれないけど、それなりの満足度は高いと思っているし、明日につなげて話していこうと考えていることもある。なのに、学生チームがどんなことをしているのかを見にも来ていないし、次の日に何をするのかもしれない人にいろいろと言われたくない」

学生だからってなめんじゃねーよ!
という叫びがひしひしと伝わってきて、じんときた。

BHは学生も職員も関係なく、最も合理的な手法を思いついた人にいいねがされる。
そういうところが好きだし、大切にしていきたいと思っていたけど、もしかしたら自分の中でもどっかでこのラインを引いてしまっていたのかもしれないと反省した。

学生時代、学校からの要望でキャリア教育の説明にいったときに、
「なんだ学生がくるのかよ」という態度で名刺を片手で渡され、適当にあしらわれたのを鮮明に覚えている。
確かに説明の仕方やプレゼン力は当時全くなかったし、うまく話せなかったのも事実だけど、
教員がそれでいいのかなと疑問を抱いて、教員になるのをあきらめた。

「学生だから」という言葉に対して、今のBHの学生はどう思うのだろうか。
別に何も思わないのか、仕方がないと思うのか、悔しいと思うのか、
どれが正解でどれがいいという訳ではないと思うけど、
少し気になっていたりもする。

そんなことを考えた2日3日でした。

(片岡)