なんでもできるようになりたい!

本日をもって、井上くんが退職しました!
それに伴って、離職式を執り行ったのですが、かなり多くの学生がきてびっくりしました。
(正直自分が辞めてもここまで人は集まらないだろうと悔しい気持ちになりました)

それくらい学生たちにとって井上くんの存在は大きかったのだと思います。

僕が井上くんと出会ったのは2011年12月。
僕が初めてカタリバに行ったのは、実は彼がPMをしていた企画です。

急遽行くことになったのですが、彼の企画の1週間後のコアをやることになっており運営を行っていると、
「経験値付けておいた方がいいから」と誰かに唆されて参加した企画は、
人数がかなり少なく、初参加の自分にポンプというしんどい役割を割り振られたのを一生忘れません。(笑)

ただ、何より忘れられないのが、
授業の控え室の最後の挨拶で彼がビビるくらい泣いていたことです。
感情のないように見える彼が、人間ってこんなに泣けるのかというくらい泣いていたのを覚えています。

そこから事務局を発足し、説明会担当という役割を山口くんと3人で1年間行いました。
京都や大阪などいろんなところに行ったのもいい思い出です。

職員になり、先輩として上手くリード出来れば良かったのですが、
100%引き継ぎを行うことが出来ず井上くんには迷惑をかけてしまったことも在るだろうと猛省しています。

最後にカッコつけて、自分の話をするとすれば、僕がBHに入った時に感じたことだと思います。

自分が年を取ったときにどういう大人になるのかを想像すると、
50歳や60歳になって、何でも嫁さんにやってもらっているおじいちゃんにはなりたくないし、
30歳や40歳になって、年をとっただけで、ろくに能力もないのに偉そうにしている勘違い野郎にもなりたくないなと思いました。
だからこそ、何でもできるようになりたいと思い、入社当初は何でもやりました。

世の中的にみれば、分業が主流で効率がいいと思うのですが、
自分で資料を作って、企画書作成して、営業(プレゼン)もして、自分で取ってきた仕事を運営して、
現場でOJTして、会計王に領収書打ち込んで、給与の計算して、報告書の作成をする。
学生が中心の事業はどうすれば運営が上手くいくのか、MTGしながらアドバイスも行う。

井上くんにとってこの1年間はかなりしんどかったかもしれないが(自分の1年目は相当しんどかった・・・)、
世の中でこんなに濃厚でいろいろな経験が出来るところはないのだろうと思ったりしている。

これから何をするのかは知らないけど、
BHでの経験を活かしてまた昔みたいに泣くほど熱中できることをしていってもらいたいと思う。
そして出来れば青少年系の団体でまた一緒に仕事ができれば嬉しく思う。

一年間、お疲れさまでした!
そしてこれからもよろしく!


こんなに多くの学生がフリスペにいるのを初めてみた!


学生の提案でカードに寄せ書きをすることに。マレーシアにいる方を代行しました。年末で忙しかったので良い写真選べずでした。(涙)

(片岡)