解釈の違い

最近ものすごく人とのコミュニケーションに生きにくさを感じている。自分の話したことを違う風に認識されたり、解釈されたり、自分の意図と違う風に捉えられたりしてしまっている。ここまでくると自分のコミュ力の低さに嘆いている。そんなことを考えながら、疑心暗鬼して、人と話すことに臆病になってしまっている絶賛人見知り中なのである。

ただ、今日学生時代に行っていたボランティア時の友人の話を思い出した。
高校生とコミュニケーションをとっていく中で本音を引き出していくキャリア教育のボランティアだったのだが、その友人はいつも高校生の心をつかむのが上手く、心理系の要素も取り入れて、高校生が話しやすい空間を作ってしまう人だった。そして、最後には高校生1人1人が本当に考えている悩みや不安をぶちまけて帰って行くのである。

そんな彼と話をしていく時にいつもどうやってコミュニケーションをとっているのかと聞いてみたことがあった。
すると、彼から「そもそも人と人とは絶対に考えが交えることがない」と意外な返答が返ってきた。

彼曰く、五感を通って受け取った情報というのは、少なくとも3つフィルターを通り、自分の中で何度も変換されて理解されるのだというのだ。
(詳しくは、彼のブログ参照)

「神経制約」「文化制約」「個人制約」を通って入ってくる情報は必ず一緒になることはないのだと。

彼の言葉を引用すれば、「私たちが現実として認識しているものは、何度も変換されて出来上がったその人の内面世界のありのままであり、どこまでいってもその人が見ている解釈でしかないのです。だから、同じ場所にいて、同じものを見ていたとしても同じ体験をしている人はいません。そこにいる人の数だけ解釈という内面世界があり、それを現実として映し出しているのにすぎないのです。」となる。

そういう考えだからこそ、不安や悩みにいてもある種の人間の「思い込み」なんだと、相手を納得させることができるのだと。

当時は何を言っているのかまったく分からなかったが、
なんとなく理解出来てきた様な気がする今日この頃。

こういう心理的な専門性も身につけたいなと思ったりもした1日でした。

(片岡)