2種類のありがとう

この3日間、キャンプの引率にいってきた。
なかなかタイトな日程の中、子どもたちは最後まで元気だった。

学生時代は数えるほどしかいかなかったキャンプにこの半年で3回、今月中にあと2回行くことになっている。

はじめてテントに泊まり
はじめて野外でご飯をつくり、
はじめてのお友達と
はじめての場所で
はじめて親と離れて生活をする

子どもたちにとってははじめての経験ばかりである。

そんなキャンプ中に、「ありがとう」という言葉が子どもたちからスタッフにかけられた場面があった。
子どもたちが食べたあとの食器をすべてスタッフが洗い、そのために施設に決められた入浴時間に間に合わず入浴ができない状況だった。

当然、人間なのだから"感謝"を表すこの言葉に嫌な気持ちになる人はいない。

でも本当にいいのかな。と思ってしまう。


自分がまだやったことのないこと、
自分ができないと思っていること

そういったことにチャレンジするのが、キャンプという機会なんだろうと思う。

とすると、子どもたちは思っていないかもしれないけど、
上述の場面でかけられた言葉の意味はきっと

「めんどくさいことをやってくれてありがとう」

なんだろうと思う。


時間の都合だけでいうと、学生たちでやるほうが明らかに早い場面がほとんどである。

そして、しばしばそういう場面のほうが

子どもたちから感謝されやすくなることで
自分自身の自己効力感も満たされ、
達成感をより高めてくれる。

でも、本当に大切なことはそんなその場限りの感謝ではないし、その場かぎりの学生たち自身の承認欲求を満たすことでもない。

むしろその時には、子どもから反感を買い、嫌われるような言動のほうが子どもたち自身が学び、できることが増えることにつながる。

それは一見、子どもにとっては厳しく映り、人気のあがらない嫌な役割だろうと思う。

でもだからこそそんな役割が担える学生が一人でも多く増えてほしい。

目先のことにとらわれることなく、一つひとつの場面で本当に子どもにとって必要なことは何か。

そのことを念頭に、自分たちはキャンプでどう関わるべきかということをもっともっと考えてほしい。

そんなことを思った3日間でした。