あきまさ、また戻って来るってよ

本日3月31日で職員の田中章雅が退職する。

あきまさがBHと関わり始めたのは2001年の頃らしいのでもう5年以上のつきあいになる。
彼のデビュー戦はスキーツアーだったと記憶しているが、本人の話によるとすでにBHに関わり始めていた同級生に「スキーに行こう」と誘われてやってきたらしい。彼自身は子どもたちと一緒にスキーをするとはまったく想像もしておらず、友達同士でスキーに行く誘いだったと誤解していたそうだ。誤解なのか詐欺なのかはよくわからないが、彼はそんなきっかけでBHに関わり始めた。
彼がBHに関わるということになったときに、すでにBHでボランティアをしていた彼の友人が、「田中だけはBHに入れるな」と警告してくれたことも覚えている。

それでも、なんだかんだありながら15年、一緒にやってきた。
彼がBHに関わった頃は職員も私を含めて2名くらいで、事務的なことも含めて、その大半を学生たちがやっていた。例えば、家庭教師の会費の請求や補習塾の月謝の請求も学生ボランティアがやっていた。章雅は一時期、その責任者もやっていたが、請求を全くしておらず、売掛金が膨大になっていたこともあった。

彼が副理事長をやっているときに、海外のワークキャンプでスタッフがパスポートをホテルに置き忘れるという事件もあったりして、彼が国内での対応をやってくれたこともあった。
正直、つきあいは長いのだが、彼がいつまでボランティアとして関わっていて、いつから職員になったのか、記憶が定かではない。

それは長い月日が流れたと言うこともあるが、彼自身が職員のようにボランティアとして活動していたし、ボランティアのように職員として仕事をしていたことも大きな要因であると思っている。

あまり大きな声ではいえないが、彼には決まった勤務時間はなかった。ふらっとやってきて、ふらっと帰る。たまに事務所で朝まで仕事をしているかと思えば、勤務時間になってもこないこともあった。
勤務時間に投球練習をしていたかと思えば、勤務時間外に膨大な書類をチェックしていたりしていた。定められた休日はあるのだが、休日にやってきて仕事をして、平日に振休をとったりしながら、完全にフレックスで働いていた。

職員のようなボランティアだったし、ボランティアのような職員だった。

しばしば「辞める、辞める。今年こそ辞める」といいながら、腐れ縁は15年も続いてきた。

ついに今回こそはまともな仕事を見つけたようで、本気で退職するようだが、多分、そんなに遠くない未来に戻ってくるだろうと思う。(のじま)