俺の中のあきまさ(敬称略)

「俺の中のあきまさ」は初め「あきまさ」ではなかった。

と、意味深なことを言ってみたが、ご存じの通り、僕が初めて出会ったあきまさは「あきまさ」ではなく、「田中先生」だったという話だ。高校2年の時に数学を教えてもらった田中先生が大学で友達に誘われて来たBHの事務所にいたときは衝撃を受けた。

もう、田中先生と出会ってからは7年が経つ。
(というか、こう書くと、そもそも高校の先生と仕事をさせてもらっている今にびっくりである)

あきまさとは学生ボランティア時代から派遣をしてもらったり、フレキャンでTDS(テクニカルドライバースタッフというあきまさ独自の商標)をしてもらったりと、一緒に仕事をすることが多かった。

長いこと一緒にいると、何となく、いつ話かけるのがいいか、どう聞けば聞きたい答えが返ってくるか、それくらいのことはある程度わかってしまう。(関西弁と標準語の使い分けのタイミングは今でも理解不能だが)

だがそれ以上に、あきまさは僕のことを分かっている。
悔しいことに、いつも僕の考えていることは見透かされていて、ある時は泳がされ、ある時は先回りされ、ある時は邪魔をされる。
あきまさは時に最強の味方であり、時に憎々(肉々)しい敵であった。

きっと本人は覚えていないだろうけど、あきまさには何度となく怒られた。

「人としておもしろくなくなった」とののしられ、
「おまえのイベントはそんなもんでいいのか」と怒鳴られ、
「このレベルくらいはこなせるようにならないと、社会で通用しない」と馬鹿にされた。

でも、その後、夜中まで付き合ってくれたのも、同じ人だった。そこには愛があった。
僕にとって恩師と呼べる人がいるとすれば、それはあきまさだと、本気で思う。

ある時、あきまさが言っていた。

「漸化式の解き方よりも、行列式の意味よりも、もっともっと重要なことをイベント運営で学んでください。」

またある時、あきまさが言っていた。

「私が本当に教えたいのは、問題の解き方ではなく、問題の見つけ方です。現実の社会では、問題を見つけることがその問題を解くという作業の70%を占めます。見つけることができたら、もう解けたも同然です。」

あんな体型で、あんな服装で、こんなことが言える人が他にいるだろうか。

俺の中のあきまさは最高に素敵で最高に格好良い先生だ。
それはこれからも変わらないと思う。

今までありがとうございました。

(おかたく)