想いと自覚
週末、某小太りさんと題のような話をする機会がありました。
まず「想い」というのは、「何のためにその事業をするのか」「その事業を通して対象がどうなってほしいか」という、趣旨であったり、理念と呼ばれるものです。
当法人の事業にはそれぞれ「想い」があります。
・小学生に新しいことにチャレンジする機会を
・高校生に将来について考えるきっかけを
・こどもたちに集団行動を通して、協調性を
この先には「こどもたちに多様な価値観を」というミッションにつながります。
それぞれ意義深いもので、このために一生懸命書類作りや、ボランティア勧誘に取り組む学生は本当に立派です。
一方で、「自覚」というのは、その事業が目指す「想い」が完璧に達成されていないことをある程度認識するということです。
先ほど挙げた、「想い」のある取り組みのおかげで、小学生は今まで無理だと諦めていたことに挑戦し、高校生は今まで考えなかった大学生像を描くことができます。
しかし、事業を行っても、その場の環境やプログラム上の問題などで、事業の趣旨が伝わらなかったり、想定と違う結果になってしまったりと、「想い」が届かないことがたくさんあります。
加えて、成功したように見えた事業でも、本当に目的が達成できたのかというと、そうではない場合もあります。
日本一高い山に登ることができたこどもは、その後どうなったのかはわからないし、大学生の話を聞いて涙を流した高校生も、数ヵ月後には大学生との約束を忘れてしまっているかもしれません。
なぜなら、簡単に自信はつかないし、簡単に価値観は変わらないのものだからです。
こんなことばかりを考えていたら、じゃあやってられるか!となってしまうと思うのですが、ある程度このことを「自覚」して事業を行う必要があると思います。
その「自覚」があれば、事業は常に有益か疑われ、改善点がないか確認されます。
その結果として、「想い」が届く対象が少しずつ増えていくのではないでしょうか。
最近の事務局を思い出しみいると、人によって「自覚」が不得意な人や、反対に「想い」を持ったり伝えたりすることが不得意な人がいるのかなあと思います。
それぞれが、補い合いながら、事業としての「想い」と「自覚」のバランスをとっていくことはできないのか。
少し考えてみようと思います。
(おかたく)