俺の中の鶴巻(3)

鶴巻と初めて出会ったのは多分、2004年のことだったと思う。いまから11年前だ。彼は東京から関西学院大学に進学し、新入生としてBHのボランティアに入ってきた。正直、新入生の頃の記憶は全くないのだが、1年生の終わりに彼がBHの役員になり、それから深いつきあいが始まっていった。
在学中、彼は後輩の育成にたくさんの力をつぎ込んできた。ヒューマンリソースマネジメント担当の理事などを歴任し、4年生では副理事長も務めた。夏キャンプの総責任者もやっていた。
正直なところ、在学中から事務などの面では不安な面も多々あったが、人と関わることについては卓越した能力とセンスを持っていた。特に後輩への思いは私が過去に出会ったどの学生よりも強かったと思う。BHの卒業パーティーで彼が送り出されるとき、送り出される鶴巻よりも送り出す後輩たちが号泣していたのを今でも思い出す。
そんな鶴巻が数年間の社会人生活を経て、BHに戻ってきた。その直後に東日本大震災が発生し、彼は被災地に飛んだ。その後、関西カタリバや生活保護世帯の子ども向けの学習支援などの新規事業展開を主に担当してきた。
彼がBHで働いた5年間は、Bhの20年の歴史の中でも非常に動きが激しかった。多くの新規事業も生まれた。そんな状況のなかで、彼はその柔軟さを遺憾なく発揮し、それらの新規事業をBHの基軸事業に育て上げた。
この5年の間、彼は結婚し、子どもも産まれた。仕事と私生活の間で色々と葛藤もあったと聞いた。
そして去る2015年9月30日、彼は5年間の任期をまっとうし、退職することとなった。
今年の3月には10年間にわたりBHの事務局長を務めてきた北村頼生も退職した。
長年にわたり、苦楽をともにしてきた仲間との別れは寂しいが、不思議とつらくはない。北村も鶴巻もBHでの経験を経て、次のステージへ歩み出そうとしているからだ。
これだけ社会が発展し、一つの会社に所属する意味が希薄となり、会社や組織の枠を超えたつながりが当たり前に行われる状況の中で、同じ組織にいることの意味よりは、同じ思いを持っていることの意味の方がはるかに大きいと思う。
さて、名実ともに完全なる自由を得た鶴巻はこれからどんな動きをしていくのだろうか。それは楽しみでならない。(のじま)