学習支援は暇であるほどよい?

夏休みとなり、自治体と協働した学習会が兵庫県内7箇所で行われています。

現場には多くの学生たちが入ってくれます。どの学生も学ぶ機会の少ない子どもたちの力になりたいと応募をしてくれています。 

そこで起こることが「教えすぎる」ことです。

熱意を持って一生懸命教える。それはとてもいいことのように思われます。一方で、子どもたちは本来自分たちでやる力を持っています。全く学校についていけていない子どもでも、彼らの今の力に合わせた学習箇所を与えてあげれば、自分で鉛筆を動かします。それは1+1でもいいのです。

大人になった今、例えば
「あなたはもう31歳なんだからプログラミングくらいスラスラできるでしょ?」
と年齢で判断されるというのはつらいのです(実際途方もなく無理です)。子どもも一緒です。中2だから、中3だからと学習内容を決めるのではなく、目の前の子どもの力に合わせて内容や進め方を変えてあげる必要があります。

そしてその過程で、自分でできそうなところを『自分で』進めるというのがとても大切であると私は思っています。自治体の協働事業は、学習支援や不登校児対策事業など、義務教育の中学生までしか支援の手が届かないことがほとんどです。重要なのは、高校へ進学することではなく、高校を卒業し、自分の力で未来を切り開いていくことです。

「中学校の時は学習会で◯◯先生がたくさん教えてくれたけど、高校に入ったらいなくなったからもう勉強無理だわ。」
 
となったら意味がありません。
 
「あーそういえば◯◯先生がいつも『例題見ろ』って言ってたなー。とりあえず例題見てやってみるか。」

というメンタルに持っていきたいと願っています。社会に出ても、自分で調べる、自分で解決の道筋を探るというのは必須の力だと思います。そうなると、現場に入る学生の役割は、勉強を丁寧に教えることではなく(もちろんそういう瞬間が必要な時はありますが)、彼ら一人ひとりの「今」の力に合わせた教材を与えることとなります。適切な薬を処方するお医者さんのような存在です。彼らに適切なレベルの教材を渡すことができればそれで勝負ありです。あとは自分の力でやったことについて思い切り認め、褒めてあげながら花丸をつけてあげてほしいと思います。最初から最後まで一生懸命教え続けている学生がいれば、それはもしかしたら子どもに与えている教材が難しすぎるかもしれません。そんなことをフィードバックしながら、学習支援は進んでいきます。

この夏に出会った子どもたちがどこまで伸びるか、考え方が少しでも変わってくれるか、とても楽しみです。(鶴巻)