だから私は学習支援に取り組む

先日、諸事情により馬券を大量購入する必要に迫られていました。
6頭から3頭を抽出し、その全パターンを買うと何通りになるのかという計算式が頭に浮かんでこず、近くにいた学生の岡田くん(副理事長)に聞きました。
「そりゃ6×5×4でしょ。」
とタメ口かつニヒルな表情で答えていただきました。ありがとうございます。学校で習ったはずのことが日常生活に活かされていません。

また、数年前はあるキャンプで名簿と出てきた食事の数が合わず混乱をしていたのですが、田中職員より
「お前植木算も分からんのか。」
と心の底からの嘲笑をいただいてしまいました。小6の時中学受験をしている友人がそういうものをやっていたのを横目で見た記憶はあるのですが、植木算もつるかめ算も学校で習った記憶はないぞ、この数学者!

そんなこんなで、勉強についてはあまりいい思い出がありません。高校の時、化学の教師がやる気のない教師で、もしかしたら定期テストで去年と似たような問題が出るのではと思い、先輩から過去問をもらいました。ただ過去問をもらっても解き方が分からないのですぐ諦め、当日を迎えました。なんと、目の前に現れたのは去年と全く、全く同じ用紙。
「ちゃんとやっておけばよかった…。」
と後悔をしましたが、最後の問題の答えだけ何となく記憶していたので書きました。後日、式が無回答で×がついており解答に◯がついているという珍事で答案が返ってきました。それで0点を逃れ15点を獲得しました。うーんさすがやる気ない教師、いい仕事をしてくれます。
その後、その教師があまりにやる気がなく真面目な生徒たちからクーデターが起こり、2学期から先生が変わってしまいました。過去問をすべて記憶すれば化学の神童になれたのに余計なことを…と思いました。

世界史では、1学期から中間→期末→中間と3回連続で11点を取るという世界史ビンゴを達成してしまいましたが、世界史の教師が2年3組の鶴巻君のその点数をなぜか2年7組でばらすという報復をしてきました。今ならば理事長の決め台詞「法廷で会おう。」と言うべきの個人情報の意図的なダダ漏らしですが、その当時はおいしいと思ってしまうような青年でした。

今高校や大学へ行ければ貪るように学ぶ楽しさを感じながら授業を聞き主体的に学ぼうとするはずです。物理も化学も経済学も政治学も(もちろん植木算とつるかめ算も)今ならすごく興味があります。学ぶという動機づけは難しいです。社会との接点を作り、おもしろい大人や本との出会い、挫折、もっと誰かの役に立ちたいという気持ち、そういう機会を体感しないと学ぼうという意欲は出てこないのではと思ったりする最近です。「学ぶ」「知る」というこんなにエキサイティングで楽しいことはないと今でなら思えるのですが、20年くらい早く思いたかったところです。

そういうわけで、こういう人間を生み出さないためにも日々学習支援に励んでいます。これは冗談でなく結構本気で思っています。(鶴巻)