俺の中の頼生 その3

頼生さんとの出会いは2011年11月。私が初めてBHのイベントに来た時だった。
当時カタリバを担当していた鶴巻職員が育休中で、代わりに担当職員になったのが頼生さんであった。カタリバ1年目で制度もまったく整っておらず(すべての資料を担当職員チェックが必要)、私もBHのイベントが初めてであり、業務の説明もまったく受けないままコアスタッフになったので、本当に何をしていいのか分からなかった。私が担当していた書類を持って行くと、顔色一つ変えず、具体的な修正箇所は何も言われず、「もう一回見直してきて」とだけ言われ突き返される。正直かなりビビったし、初めての会話がそれだったので、爆発的なイメージを植え付けられた。(ちなみにその書類のミスは、学生派遣にこうしてと言われてあえて変更した物だったので、後に学生派遣に苛立ちを覚えたが。)

でも企画当日に参加した学生全員から一言を書いた寄せ書きをもらい、そこに頼生さんからのメッセージもあった。「いい語りの場でしたね。カタリバはまだまだ未完成です。さらに良くなるよう取り組んでください。始まりです。」頼生さんのことをよく知っている人なら気付くと思うが、当然他の企画本部にもまったく同じ言葉(改行すらも一緒)が書かれていた。でも自分の中でもこの言葉が本当に嬉しかった。自分だけへのメッセージではないし、頼生さんからすれば何気なく書いた言葉だと思う。でもこの言葉があったからこそ、本当に企画をやってよかったと思ったし、その後もっとカタリバを盛り上げていこうと考えて、事務局に入ることを決断した。柄でもなく今でもこのメッセージカードは机の奥に大事にしまっている。

その後、鶴巻職員に誘われて、BHの職員をするか考えた時も、憧れの頼生さんと同じ職場で仕事をしてみたいと思えたことがこの選択を決断した理由の一つである。なので、最初は頼生さんに一声かけることが他のどの職員(理事長を含む)に声をかけることよりも気を配り、緊張した。頼生さんの様子を相当うかがい、サイボウズを何度も見直して、暇にしているチャンスを逃さぬよう、絶妙のタイミングでふるえながら声をかけていたことを覚えている。

キャンプ団体が集まる打ち合わせに一緒に行った時には、普段淡々と冷たいイメージがある頼生さんが、キャンプについて、子どもについて熱く語る機会を見れた事も衝撃的であった。自分の中で熱い想いを持ち、ただ想いだけでは社会は変わらない事を理解して行動しているそういう姿が本当にかっこよく、自分の中で憧れでしかなかった。

仕事面でもやっぱりうまくいかないことも多くて、特に1年目は本当に先輩職員には迷惑をかけまくってしまった。自分の中でも気持ち的にしんどいこともあったが、そういう時に逃さず声をかけてくれるのも頼生さんだった。会議室に呼び出され、最近の業務のこととか、体調のこととか、今後のことか色々相談に乗ってくれた。頼生さんから言われる「なんかあったらいつでも相談して」という言葉は、魔法の言葉のように頼りになり、自分もまた頑張ろうと思える事ができた。

そんな頼生さんがBHを卒業する。
正直、BHと言えば、頼生さんというイメージだったので、頼生さんが抜けると今後どうなって行くのか不安でしかない。でもうだうだ言っていられる組織でもないので、切り替えて頼生さんから学んだ事を今後少しでも後輩や学生に活かしていきたいと思う。少しでも頼れる存在になろう心に決めて。

頼生さん、10年間本当に本当にお疲れ様でした。また飲みに行きたいです。つぶれるまで。(片岡)