俺の中の頼生 その2
頼生が退職する日まであと1週間弱だが、まだ実感がわかない。
おそらく、退職日が来ても実感がわかないと思う。
あまりにごく自然にずっと一緒だったから、突然、いなくなっても実感はわかないのだろうと思う。
頼生と私が出会ったのは、頼生が18歳の時。いま、頼生は36歳だから彼の人生の半分くらいは一緒にいたことになる。
正直なところ、頼生が大学生の頃の記憶はあまりない。
それなりに親しくしていたし、彼が3、4年生の頃はいまはなき西宮北口のルードというバーに入り浸っていた。
私は当時、銀行員だったので、週末に西宮にやってきて、頼生とよく飲んだ。
甲子園に銀行の研修所があって、そこから夜中に抜け出すために頼生が迎えに来てくれたこともあった。
そんな頼生からブレヒューで働きたいと話を聞いたのは、彼が高島屋で働き始めて数年目のことだったと思う。
私の記憶が正しければ、今津にあったやまとの湯というスーパー銭湯で告白されたと思う。
当時、頼生はそれなりに高島屋で楽しく働いていたし、そこをやめてブレヒューに来るなどとはまったく夢にも思っていなかった。
その当時は(今もだが)、職員をたくさん雇うほどの予算もなかったし、頼生とは別の職員を雇用することも決まっていた。
ただ、頼生と一緒に働くのも悪くないと思った。
そんな感じで頼生がブレヒューに入ることになった。
いまでは想像もできないかもしれないが、大学時代の頼生は特に卓越して能力が高かったわけでも、抜群の存在感があった訳でもなかった。
どちらかといえば人知れぬところでこつこつと業務を処理していたイメージがある。
頼生がいまの頼生のようになったのはブレヒューに職員として入ってからだと思う。
当時は事務もぐちゃぐちゃで塾や家庭教師の月謝なども数年間、未払いの顧客がいたりしていた。
彼の最初の任務はそれをすべて整理することだった。
数年前の月謝を請求するという、無理難題を彼はこつこつとこなし、きれいに処理していった。
頼生は能島のことを能島よりもよく知っていた。
私が考えていることを、私よりも先に考えていた。
能島ならどう考えるかということを本当によく知っていた。
そんな頼生がもうすぐ退職する。
まだ実感がわかない。
でも、しばらくすると頼生がいなくなったことをじわじわと感じ始めるのだろうと思う。
といっても、彼はブレヒューから10分ほどの場所に住んでいるし、彼がこれから立ち上げようとしている事業もすぐ近くで行われる。
そう考えれば、なんだかんだでこの縁は、腐れ縁のようになっても続いていくのだろうとも思う。
頼生はブレヒューという組織からはいなくなるが、ブレヒューのコミュニティの中には存在し続ける。
もし、私が死んだら、多分、彼はすぐに駆けつけてくれるだろうと思う。
そんなことを頼生に言うと、彼は0.00001秒くらいで否定するだろうと思うが、多分、戻ってくる。
そう思うと安心して一日一日を過ごしていくことができそうだ。
頼生、本当にありがとう!そして、これからもよろしく。(のじま)