学生に責任が取れるのか?

先日、大阪で行われた全国ボランティアコーディネーター研究集会の分科会に当法人事務次長の鶴巻が登壇させていただいた。そこで鶴巻が当法人の学生を主体とした運営についてお話させていただいたところ、会場から「学生に責任が取れるのか?」という意図を感じる質問があった(主催者からは当日の発言記録から「そのような発言はなかった」との指摘を受けているが、質問全体の趣旨からは、私はそのような発想があるように受け止めている)。
その質問を受けたとき、私がいつも思うのは、では社会人であれば責任を完全に負うことはできるのだろうかということである。責任という言葉が多義的であるため、質問者はどのような意図でそのような発言を行っているのかわからないが、たいていの場合、質問者は責任の定義についても整理することなく、条件反射的に「学生は責任が取れない」「社会人は責任が取れる」と考えているに過ぎない。ただ、責任という言葉を整理すると、学生であっても社会人であっても責任を取ることができないものと、学生であっても社会人であっても等しく責任を取ることができるものしかないことがわかる。
私たちの団体では子どもたちを対象としたキャンプなどを行っているが、それはある意味において子どもの生命や身体の安全を守る責任を負っている。したがって、事前に万全の予測と準備を行い、適切な安全配慮を行うことが求められている。もちろん学生であれば、社会人と比べて経験が劣ることは否定できないが、その分、様々な指導者、助言者の指導をいただきながら、他団体よりもより厳格な安全管理を行っている。また、経験が十分でないことを自覚し、自分たちで安全管理を行うことが困難なプログラムについては専門の指導者に依頼するなどの対応を行っている。いずれにしても、事故を発生させない責任は学生であっても社会人であっても等しく負うものであり、当法人の学生たちもそれに全力を注いでいる。
また、万が一、事故が起こったときの責任については、3つに分けられると思う。
一つ目は民事上の責任である。もし子どもの生命を奪った場合、数千万円から億単位の賠償責任を負う可能性がある。しかし、この賠償金を個人で負担することは社会人であっても、学生であっても困難である。その点を踏まえ、当法人のキャンプでは法人として傷害保険や賠償責任保険に加入するとともに、学生ボランティアも賠償責任保険に入り、保険によって民事上の責任を負うこととしている。したがって、民事上の責任については学生と社会人にその差はない。
次は刑事上の責任であるが、事故が起きたときには業務上過失致死などの刑事責任が問われる可能性もある。ただ、これについては学生であっても、社会人であっても等しく刑罰を受けることとなるので、その責任に差はない。
そして、最後が道義上の責任であるが、これについても学生であっても社会人であっても、その責任を果たすことについてその差はない。もっとも、道義上の責任については、その内容が不明確なので、責任ととらえるかは疑問の残るところである。
つまり、上述の通り、民事上の責任のように学生であっても社会人であっても個人では負いきれない責任もあれば、刑事上の責任のように学生であっても社会人であっても等しく負うことのできる責任しかない。そう考えると「学生は責任が取れない」という主張は正しいものではなく、「学生であっても社会人であっても負いきれない責任と等しく負う責任がある」というのは事実である。
にも関わらず「学生は責任が取れない」と主張することの背景には、学生は非力な者、中途半端な者、保護を受けるべき者という認識があるように思う。確かに社会の中で、そのような認識が多いことは否定できないが、少なくとも青少年に関わる団体は、そのような社会の認識を改めるよう努力する責任があるように思う。とりわけ社会に出る一歩手前の大学生たちを一人の人としてとらえ、それを育て、社会に送り出していく役割があるように思う。
今年も多くの学生たちがこの組織を旅立ち、社会に出て行く。その一人一人が社会の中で、自分の役割と責任を自覚し、それを全うする生き様を見せてくれることを心から願っているし、それができると信じている。(のじま)