震災とわたし

 昨日で、阪神・淡路大震災より13年が経った。西宮にある私の実家もその影響を受けて傾き、私自身もタンスやライト等、多くの物の下敷きになったことを覚えている。ただその時は、食卓の醤油瓶が割れ、絨毯に大きなシミができることを心配してた程度で、外に出るまであれ程の大惨事になっているとは思いもしなかった。その後も、多少の生活上の苦労はあったものの、いつしか普段の生活へと戻っていった。
 そんな私にも転機が訪れる。2年後に大学へ入り、当会の前身となる関学学習指導会において、被災児童を対象としたレクリエーション活動を行うこととなる。中高時代の自分からすると、自分がボランティアをするとは考えられないことだったが、友人の誘いもありその後4年間、同活動に勤しむ。その上、3年前からはその団体で働くことになろうとは、、。
 また思い起こせば1年前。当時被災児童として当会キャンプに参加していた子どもが高校3年生となり、ブレーンヒューマニティーに戻ってきた。ちょうど震災から12年経ったころで、彼と一緒に「被災児童支援ボランティア育成研修」を行うこととなる。研修内容としては、レクリエーションや臨床心理、社会心理、アートセラピーなどの分野の専門家を招き、子どもと関わる上での心構えやスキルを身につけるもの。まさか自分が支援していた子どもと一緒にイベントをするとは、夢にも思わなかったものである。なお、昨年夏、新潟県中越沖地震の被災児童を当会キャンプに招待したときも、同研修を受講した学生がリーダーとして活躍した。3日の研修で何が変わるというものではないが、こうした活動の意義を強く感じた。今年は実施できなかったものの、今後も当時の思いを忘れることなく、現在の活動に取り組んでいきたいと思う。
 このように、それほど震災を意識したことはないが、今までの人生の半分は震災の影響を受けていたことに今気付いた。ちなみに私の実家は半壊したままで、今の住まいも大きな補修工事がなされた築32年のマンションである。近年発生するかもしれない災害に耐えれるかが、ただただ心配である、、。(きたむら)