なにを持って自分は仕事をしていると言えるのだろうか?

「君たちは給与をもらっているが、給与分の働きはしていない。今は君たちへの投資の期間です。」
新入社員として入社した会社でいつぞやに言われたこの言葉

給与という対価はなにを持ってして得られるものだろうかとよく考えてしまう。
時給という発想でいくならば、自分の自由な時間を1時間1000円で売っているということになるだろう。
しかしそもそも自由な時間で、自由のままでは対価を得れないのだから、自分の時間を売っているという考え方はあまりピンとこない。

やはり対価に見合うだけの生産または生産性をしているかという部分で問われてくるのだろうか?

営業職であれば、自分がいくら売り上げたかでそれがわかるし、
製造職であれば時間当たりの生産量で従来よりも効率よく生産すれば目に見える成果となる。

私は就職してから6年間ずっと事務職として働いてきた。
予算を作ったり、フォーマットを作ったり、調整したり

そういう仕事をしていると自分が与えられている対価に対して求められているだけの成果をだしているのかと疑問に思うことがよくある。
そしてしばしば「君は給与分の働きをしているのか?」という言葉が頭をよぎる

予算規模の大きな会社にいたころはあまりピンとこなかったが、
BHの予算規模だと会社の売り上げ÷社員数が簡単にできてしまう。

なので思う。
自分は給与分の働きをできているのかと
自分は1人あたりの売り上げにいくら貢献しているのだろうかと
どうすれば自分の働きに満足できるのだろうかと
どうすればもっと生産性の高い仕事ができるのだろうかと

今日も事務局でカタカタPCのキーボードを叩きながらそんなことを思うのである。

松本