彼らの報告
先日、春に行ったマレーシア植林ワークキャンプの報告会があった。
どの顔も集合と解散で違っていたのを覚えている。
異文化に触れて、少し大人っぽくなっていたのを覚えている。
そんな、彼らが気づいたこと、感じたことを話していました。
それは大人の僕からすれば些細な気づきかもしれないけれど、
中学生、高校生の彼らにとってはとても大きな気づきなのだろう。
そんなことを思いながら彼らの成長を眺めていました。
今回は文章量が少ないので彼らに送った文集の内容もどうぞ!!
※手抜きではありません
〜無題〜
朝になれば当然のように電車で会社や学校に行く
お腹がすけば当然のようにコンビニに行き、軽食を買う
夜になれば当然のように電気をつけ、テレビを見て、スマホを触る
そんな当たり前の生活に中に僕らは生きていた。
でもそれは「あたりまえ」ではなかった。
マレーシアのあの村ではそんな「あたりまえ」は「あたりまえ」ではなかった
電車もなければ、コンビニもない。
電気も水道もお湯さえも貴重な資源である。
一見僕らからしたら不自由なそんな世界に、彼らは自由に生活していた。
それは彼らの中でそれが「あたりまえ」な世界だからだろう
「豊かさとはなんだろう?」
ウルグアイのホセ・ムヒカ元大統領は先のリオ会議で次のようなスピーチをしている。
「貧乏なひととは、少ししかものを持っていない人ではなく、無限の欲があり、いくらあっても満足しない人のことだ」
発展は幸福を阻害するものであってはいけないのです。発展は人類に幸福をもたらすものでなくてはなりません。愛情や人間関係、子どもを育てること、友達を持つこと、そして必要最低限のものを持つこと。これらをもたらすべきなのです。
(出典:ムヒカ大統領のリオ会議スピーチより一部抜粋)
日本でこのスピーチを読んだ時とマレーシアに行ってからこのスピーチを読んだ時の印象はかなり違う。
日本に住む僕らの豊かさとマレーシアのあの村に住む彼らの豊かさの価値基準はおそらく違うだろう
今回、ワークキャンプに参加したみんなは日本で生まれ、日本で育った人が多いだろう。そんなみんながあの空間に触れたということはとても価値があると思う。どちらが正しいという話ではない。それぞれの文化・価値・環境に触れたからこそ考え、感じることができることが多くあると思う。
もう一度問いたい
「豊かさとはなんだろう?」
これから社会に出るみんなだからこそ
これからの世界を生きていくみんなだからこそ
このワークキャンプに参加したみんなだからこそ
考え、気づき、できることがあると思う。
この7泊8日の出来事がそんなことを考えるきっかけになればいいと思う。
松本