年間イベント

先日『年間打ち上げ』というものが行われた。

それは、SATAPROという当法人の数あるイベントの中で、最も長期間にわたるイベントを乗り越えた学生担当者をねぎらうものである。

SATAPROは6月から3月まで夏休みと冬休みを除いた毎月2回ずつの計16回、毎回こどもたちを募集し、スタッフを募集し、企画を考え、スタッフへの説明会を行った上で当日のイベントを運営する。

広報段階から数えると、彼女達の戦いは1年半程前から始まる。昔から代々その年の精鋭が抜擢されるため、自分からやりたいといってもできるような役職ではなく、その長期間ゆえにリタイア者も多い。

そんな年間イベントは今年3本、各イベントに担当者は4人なので、計12名が今回の打ち上げの主役である。

主役たちはBHの打ち上げ会場の定番である、ピカロのスポットライトを浴びて、支えてもらった先輩や同僚、毎回参加してくれたスタッフへの感謝を述べ、口々に『苦しかったけれど、やってよかった』という。それを話す本人と、それを聞く周りの後輩の目からは大粒の涙が零れおちる。

そんな中、主役であるはずのある1人の学生が、会場の端で周りとは違う、少し細くて小粒の涙を流していた。

その学生は目を真っ赤にして一言、『なんか違う』と言った。

それは『簡単にやってよかったと言えるほど生半可な苦しさではなかった』と言っているように聞こえたし、『やってよかったかなんて、今わかることじゃない』といっているようにも聞こえた。

真意はわからないが、確かにあの場では、『年間本部はものすごくやりがいがある。大変だけど、為になる。かっこいい』という空気が作り出される。

それはある意味で本物で、ある意味で偽物だ。

まるで山頂からの景色は絶景で、今までの道のりも悪くなかったかに聞こえるが、本当は口では言い表せないくらい険しく、時にはみっともない姿を晒して嵐に耐えてきた。

それは後輩にすべて伝わらない。でもそれがすべて伝わらないからこそ、この過酷な戦いが続けていくことができるのもまた事実である。

今年もまたSATAPROが始まる。

なんとが繋いだバトンによって、創り出される次のSATAPROはある意味で先代の成果物である。

いつか、あの涙を流した学生が『やってよかった』と思える日が来ることを願ってやまない。

(おかたく)