夢を持つことは大切なのか

今週も提案書祭りです。
国語3だった男が提案書を書く違和感に苛まれながら、
パソコンの文字とワードが嫌いになりつつある今週の片岡です。

そんな提案書作成の合間で、
学生が作成したキャリア教育プログラムの報告書を
今週はドンとチェックしました。

学生が作った文章を見ていく中で、
特に気になった言葉があります。

「夢を持つことが出来るようになった。」

前後の文脈からして特に問題はなかったのですが、
何か違和感を感じて、帰り道に一人で歩きながらずっと考えていました。

そもそも今の自分にとって夢とは何なのだろうか?
幼稚園の時は仮面ライダーみたいになりたいと本気で思っていたし、
小学校に入るとサッカー選手になる心に決めて、
高校・大学になると学校の先生になるんだと励んだ。
その結果が教育系NPO職員。

今自分が目指しているものは、正直具体的にこれと言うものはないし、
あとは、島か山で家族つくって一緒にのほほんと暮らせればいいなと思っている。

多くの人も幼少期の夢を叶えた人は少ないと思うし、
大人になって年をとって行けば行くほど、
夢はなくなっていくものだと思う。

そんな中で、後からとってつけたように「夢を持つことが大事だ」と
伝えることが本当に大事なのだろうか。

強いて言うのなら、「夢を持つことは大切だ。でも99%は叶わないけどね。」
とまで言ってあげないと行けない様な気がする。
むしろ99%叶わないのに、なぜ夢や目標を持つことが重要なのかをキャリア教育では伝えないと
中高生は納得しないのだろうなと思った。

キャリア教育全般をどうこう言うわけではないけど、
自分たちが提供するプログラムは、
「夢を持つことが大事だ」「頑張れば必ず夢は叶う」というような
そんな安っぽい言葉を解き放つものではなく、
夢の途中で気づいたこと、失敗したこと、上手くいかなかったこと、挫折、
その経験からどう感じているのかなど
そういうことをロールモデルとして提供し続ける授業でありたいなと思う。

昔、夢破れ、それでもその経験が仕事で活かされる話をしてくれた大学生がいた。

「報われない努力はあるけど、無駄な努力はない」

たぶんそういうことなんだと思う。
今の社会状況の中で、今後もっとひどくなっていとが予想される中で、
「夢を持っていればいいんだ」などそんな言葉だけを放つのは無責任だ。

しっかりと一人一人と向き合って、
夢には逆境や困難が待ちかまえていること、
どうすれば乗り越えることが出来るのかを考えること、
そういうことが重要なのだと思う。
そんなことを考える1週間でした。

(片岡)