じわじわとした手応え

昨日の夜は、家族で素麺を食べました。
私は去年の春神戸市のはずれにある古い家に引越し、家の前の畑で細々と野菜を作っています。今年は友人や副理事長の加藤くんも一緒にやっています。7月に入り、次々と収穫が始まっています。今回の食卓に並んだ付け合わせのトマト、シソ、きゅうり、レタスなどは家の畑で取れたものです。こうなると机の上に並んでいるもののほとんどが「生産者、俺。(『代打、俺』と同じニュアンスです)」となり、食べるのもさらに楽しくなってきます。子どもも自分で取ってきた野菜を食べるので全く好き嫌いなくパクパク食べています。

去年は虫に食べられまったくものにならなかったレタスですが、今年はネットを被せてうまく作れました(感涙)。

好きな人に告白して成功した時、内定をいただいた時、仕事がうまくいった時といったような背中を走る痺れるような手応えもいいのですが、その手応えによって起きる幸福感は長い時間は続きません。それは物を買うといった行為も同じかもしれません。こうやって自分の手で少しずつ身の回りのことができるようになっていくじわじわとした手応えというのもとてもいいものです。日々の納得感みたいなものは、こういうことを積み上げていくことなのではと思ったりします。

こういうシーンでビールでも呑めたらなお最高なのにと思いながら、アルコールにすこぶる弱いのでこれまた庭で取れた梅ジュースで乾杯しました。(鶴巻)