答辞

brainhumanity2015-03-31

答辞


多くの方々に見送られ
多くの贈り物とおもいを抱え自宅に着いた。
理事長も言っていたように、私も退職の実感がまだない。
今後も仲間としてあり続けたいので、寂しさも正直感じない。
ただ、自宅に着き鍵を開けるとき
BHの鍵番だった私のキーケースから多くの鍵が消え
自宅と自転車の2本しかないのを見て初めて実感が沸く。
BHを今日卒業したのだと、、。

職員となってちょうど10年。
学生時代から関わりはや18年。
36歳の私は、人生の半分をここで過ごしたことになる。
BHでの活動は、あまり仕事という感覚がなく
当たり前のように日々取り組むもの、言わば私の一部だった。
飄々・淡々・黙々がトレードマークの私にとっても
それは自分を成すかけがえのない時間であり
一つ一つの出来事や人を思い起こすと心が大きく蠢く。
整理するにはもうしばらく時間がかかりそうだ。
一晩明けた今日、それを痛感した。
昨日いただいた卒業証書を前に気持ちが溢れ、目頭が熱くなる。
思った以上にここでの活動は大きなものだったようだ。

整理したものは書けないが、多くの方々に見送られた
答辞として、今ありのままの気持ちを記しておこうと思う。
複雑でまとめられないので、思いごとに記します。


■感謝
何よりも感謝の気持ちが一番にあります。
自分を育ててくれたブレーンヒューマニティー
同じ目的に向かい活動してきた仲間たち。
当法人を支えてきて下さった皆さん。
無礼で冷たい言動にもつき合ってくれた職員たち。
頭を下げお願いしてきた私を採用してくれ
10年後に退職する我が儘を黙って聞き入れてくれた能島理事長。
そして、これまで私を支え、退職を決断したときも
一言も質問することなく即答で了承してくれた家族。
すべての皆さんに、心から感謝申し上げます。
本当にありがとうございました。

■お詫び
「今ちょっとだけ時間いいですか?」
と恐る恐る訊ねてくる学生。
「ちょっと今は無理」
と学生の顔を見ずにパソコンを打ちながら答える私。
自分の仕事を成り立たせるため
自分の生活を成り立たせるため
時間や効率を最優先とし、すべては法人全体のためと思い込み
すべて「仕方がない」という言葉一つで正当化・合理化させ
そんな無礼な言動を続けてきた私。
立場的にも時間的にも私のそういった考えは
事務局スペースにも大きな影響を与えていたかと思います。
感謝の気持ちや慕ってくれる嬉しさとは裏腹に
そんな言動しかできなかった自分に腹立ちが感じるとともに
皆さんにもしっかりとお詫びしたいと思っていました。
本当に申し訳ありませんでした。

■誤解
「冷たい人」
これにはあまり異論はありません。
ただ、あれだけ事務所にいれば、
様々な人の表情ややりとり、ドラマは興味を持ち見ています。
あれだけの修羅場を見れば、その表情とは裏腹に
私の心も大きく揺れ動き、時として締め付けられます。
意外と繊細な心を持っているのです。
愛の反対は、無関心と言いますが、
意外と関心を持って見ています。
ただ、見ているだけで止まっているのがいけないのですが、、。
「超人」「スーパーサイヤ人」・・・
そんな言葉で凄い人のように思われていることがありました。
あまり気にしたことはありませんでしたが
時として悪い気はせず、よりそのスピードとタフさを追求し
時としてその言葉に心地悪さを感じてきました。
今思うのは、自分には何もないこと。成長していないこと。
凡人ながらに、時間と黙々さでカバーしようと必死でした。
たまに、限界を超えて体がガス欠停止する脆さもあります。

■反省
だからこそ今後、自身のためにもBHのためにも
大きく成長したいと思っています。
京セラ名誉会長の稲盛氏はその著書で
人生・仕事の結果=考え方×熱意×能力
という方程式で示しています。
人生をよく生き、幸福を得ていくためには、
それぞれを高めていく必要があります。
もちろん私も考え方が−や熱意がなかった訳ではないですが
能力に目が行き過ぎ、また他の二つを育てることがありませんでした。
その「能力」も
仕事量=黙々×集中×スピード×時間量×継続性×安定性
と勘違いし取り組んできたように思います。
完全な間違いです。
職員として学生に求めるように、
職員も常に立ち止まらず成長することが必要です。
10年を振り返り、特にこのことを強く感じています。
「Brain」と「Humanity」を持ち備えた個人でありたいと思います。
そのために、EXCELFacebookの習得を拒み続けたガラパゴス人は
少しその身をハングリーな世界に置くしか手の施しようがありません。
今さらながらそう思っています。
何も特技のない私ですが、自分の正直な気持ちと向き合い続ける覚悟は
人一倍あると自負しています。

■退職
考えるようになったのは3年ほど前。
CFCが急成長し、BH出身の若者が代表として頑張っている姿を見たとき。
そして、藤原和博さんの「坂の上の坂」を読み
組織内個人事業主の考えに触れたとき。
このままでは、自分もBHもこれ以上よくなっていかないのでは。
代表者と同じぐらいの立場と覚悟で本気で取り組まないと
また自身が成長しないと何も変わらないというあせりがありました。
気持ちを変えたのも束の間、震災や生活保護世帯支援
NPO会計導入、旅行会社設立など新しい動きもここ数年あり
日々の業務に追われ、いつしか忘れさっていました。
自身の弱さでもあります。

そして、一昨年の夏、今も忘れられない言葉と出会います。
夏キャンプ後のアンケートで書かれていた「素人の団体」という言葉。
もちろんその時に指摘があった事柄についてはすぐに対応しました。
ただ、この時の言葉がショックでショックで今日まで頭から離れません。
と同時に、学生たちが頑張ってきたものに対する言葉として
悔しくて悔しくて仕方がありませんでした。
「大学生なのにできる子どもたちへのキャンプ」ではなく
「大学生だからこそできる子どもたちへの最高のキャンプ」
を目指している私たち。
大学生ならではの自由な発想とエネルギーで創られるキャンプで
子どもたちが成長すること、そしてその過程で大学生自身も成長すること。
そこに価値を置き活動し続けています。
後者がなければ活動自体が続きませんし
前者がなければただの仲良しサークルであり
時として子どもたちにも悪影響を及ぼしかねません。
この時のアンケートは、事務的な面での指摘で、すぐに改善もされ
当法人として大きく問題とされることはありませんでしたが
私としては、プロとして活動することを強く意識するきっかけとなりました。
もちろんそのまま残って、意識を変え、行動を変え、活動を続けるべきですが
前述の自身の能力、これまでの成長、変われない自身の弱さ
それらを考えると劇的に変われる自信がありませんでした。
また子ども・子育て会議の委員に就任し、子育て〜小学校低学年へ
特化した支援をしたいと思い始めたのもちょうどこの頃のでした。
常に保守的な私ですが、そういった思いが複雑に絡み合い
リスクも考えず、直感的に外に出ることを決意しました。

成功の反対は、失敗ではなく、何もしないこと。
まずは一歩を踏み出そうと思います。
より主体的に社会と関われるように
子どもたちによりよいサービスが手渡せるように
そして、いつの日かBHとも一緒に相乗効果があるような活動ができるように
そんな思いを持って卒業を迎えます。

■今後
これからも見守り続けます。
BHに関わる若者が主体性をもって、社会を変える活動をしていくことを。
そして私も同じ青少年育成分野で、一から出直します。
場所は違えど、
これからも皆さんのことは仲間だと思っていますし
共に大きくなっていきたいとも思っています。
また一緒に活動できることを夢見ております。
具体的にまだ書けないのが申し訳ないところですが
近いうちにしっかりと近況をご報告できればと思います。

10年間、そして18年間、本当にありがとうございました。


北村頼生