学生ボランティアは使えない!?

最近、いくつかの会合や会議などで
NPOやボランティア団体の方々から
こんな話を聞きました。


「学生ボランティアは使えない。」


お話しをうかがうと、学生ボランティアは
時間や約束を守ったりするような
基本的なことができないので、
ボランティアで来てもらっても
使えないというのです。


それに比べて主婦や社会人は
それらのことがきっちりと出来ていて、
ボランティアに来てもらうと
非常に心強いということです。


私はこの十数年間、ずっと学生ボランティアと
一緒に活動してきました。
そのなかで言えることは、
確かに「最初は」基本的なことができていない、
ということです。


BrainHumanityには年間数百人の学生ボランティアが
新たに入ってきますが、
最初は時間や約束を守ることのできない学生が
非常に多くいます。


その点では、他の団体の皆さんと同じ意見です。


ただ、私はそれでいいのか?と思ってしまうのです。


基本的なことができない学生が、
学生時代に誰からもそれらのことを教えられず、
社会へ出て行く。
果たして、それでこの社会は
よくなっていくのでしょうか。


いつかの時点で、誰かがそのことを伝えなければ
いけないのではないかと思います。


多くの学生達はそれらに気づくことなく、
社会へ出て行きます。


そして社会、もっと具体的に言えば、
会社のなかでそれを学ぶことになります。


それをよしとするのであれば、
地域や社会の教育力はもはや無用なものになり、
それらの教育を企業に押しつけることに
なるのでしょう。


私は、そのような社会を望みません。


もちろん、会社の中で学ぶこともたくさんありますが、
一方で学生時代に地域や社会と交わりながら
学ぶべきこともたくさんあると思うのです。


先週から今週にかけて、
私はほとんど自宅に帰れていません。


別にそれは自慢でも、誇るべきことでもありません。


ただ、一人一人の学生を育てていくには、
それなりの、とてつもない時間がかかるのだと
思います。


私は、この組織は、その時間を
惜しいとは決して思いません。


その時間こそが、
地域や社会をよくしていくために
誰かが払わなければならない労力だと思うからです。


今日もまた多くの学生が、
子ども達との約束を守るために、
自分たちが定めた目標を乗り越えるために、
事務所で夜を明かそうとしています。


「学生ボランティアは使えない。」
それは一面において真実です。
でも、必死にパソコンに向かう学生の背中を見るとき、
その言葉の軽さを痛切に感じるのです。(のじま)