あきまさ、またコンビニ行くってよ

しまった、タイトルを打ち間違えた。今日はまじめな投稿なのに。

昨年退職した鶴巻です。
昨年自分が退職する際にも「俺の中の鶴巻」を書いていただいたので、日曜日の枠を借りて書かせていただくことになりました。

田中さんが退職する。

BHで一緒に活動した仲間同士の繋がりはとても強い。卒業した後も、長期休みになれば旅行に出かけたり、年末には忘年会で集まったりしているものだ。
「田中さん」という話題は、おそらくどの車でも、どの居酒屋でも話されている。BH界における天気の話のようなものだ。
「今日はええ天気ですなぁ。」と、
「最近あきまささん元気?」
はほぼ同じレベルの常套句である。
お盆休みの間に日本中を走っている車の内、50台くらいは車内で田中さんの話をしているだろう。総理大臣など比べものにならないほどの注目度である。

BHはこれまで20年以上学生を送り出してきたが、例えば10代目と20代目の卒業生がOBOG会などで出会ったとしても、話で困ることはない。なぜなら田中さんの話題を切り出せばいいからだ。
「田中さんって先輩の時はどういう感じだったんですか?」
その質問だけで、旧来の友人のような会話ができる。

世代を繋ぐ役割を果たしてきたのは、間違いなく田中さんだ。
これから田中さんを知らない世代が生まれるとは、その世代が不憫でならない。田中さんがいないブレヒューなど、チャーシューがないチャーシュー麺みたいなものだ。つまりチャーシュー麺ではないということだ(例えに深い意味を詮索してはいけない)。もっと噛み砕いて言えば、豚バラと肩ロースの2種類のチャーシューを用意しているラーメン屋だったのに、肩ロースだけになってしまうみたいな感じだ(チャーシューを人に見立てているわけではないし、肩ロースのチャーシューは健在という例えにも深い意味はない)。

職員をしていて田中さんがすごいと思っていたことは、ちゃんとキレることだった。
これだけ毎日多くの学生と接していれば、
「またやらかしたか・・・。」
と感じてしまう瞬間はたくさんあった。
叱るときは叱っていたと思うが、自分の仕事を必死になって終わらせるためにも(自分もやらかし続けていた)、やり過ごしてしまうことや、感情を殺して淡々と処理してしまうこともあった。

ただ田中さんは、大いにキレる。
フリースペースにスーザン・ボイルのような高音が響き渡る。
納得できないことは周りが引くくらいキレる。

その瞬間は誰でも鬱陶しいと思うが、やっぱりそこまで怒られたり注意されるというのは、貴重なことであると思う。
よく言われることで、「怒ると叱るは違う。怒るは感情のままに言うこと。叱るは相手のために言うこと。」というのがあるが、叱られるだけでなく、相手をあんなに怒らせてしまったのだと感じる瞬間も必要だと思う。人間は合理性の中だけで生きているわけではない。
田中さんの場合は怒るの最上級系のキレるを繰り出してくるわけだが、やっぱり自分がそこまでの感情の高ぶりを持って相手に言えるかといえばそれはほとんどできなかった。
「どこまでいっても他人のことは分からないから。」で終えてしまっていた。

「俺学生から嫌われてるわー。」
といつも言っていたが、田中さんこそ本当の意味で学生の成長や気づきに最も影響を与え続けてきた人物であるし、誰よりも多くの時間を使って学生とコミュニケーションを取り、支え続けてきた人だということは誰も異論はないだろう。

新しい職場ではきっとコンビニに行くことも勤務中に1回家に帰ることもできないと思うが、シャドウピッチングはより広い場所でできるはずなので、今後もプロ入りを目指してがんばってください。

これまでお疲れさまでした。
今後も仲良くしてください。

(鶴巻)