感じる

毎週書いているこの「今日の事務局」ですが、前回の職員会議の際、私が書いた3月1日の記事「卒業の季節」の雰囲気が良かったと能島理事長に言われました。毎週毎週書いているものですが、こうして褒められるとやはりうれしいものです。

しかし、能島に褒められたこの「雰囲気」「感じ」というものは、なかなか難しいものでもあります。当然、それらには具体性がなく、したがって再帰性もない。どうしたらまた同じような「雰囲気」のものが書けるのか、私にもわからない。だからこそ、困ります。

しかし、実社会における問題の多くは、この「雰囲気」というものを、まさに「感じ」ることが重要である気がします。私が研究している数学においても、1つの問題を聞いたときに、学部生は真面目にそれを考え始めます。しかし、院生になると、考えるより先に、その問題はどの部分にボトルネックがあるのか、要は何を証明すればいいのか、それを「感じ」ることができます。これは、式が分かるとか、解答へのプロセスがわかるということではなく、本当に何となくそんな「感じ」がするのです。

ノーベル物理学賞を受賞したド・ブロイが提唱するように、すべての物質は粒子性と波動性、その相反する2つの性質を同時に持っています。我々人間の思考というものも、対称性と非対称性、直観性と論理性、そんな2つの相反するものを同時に持ち合わせながら考えることが重要ではないかと、最近「感じ」ています。(たなか)