関学生による折り鶴放火事件について

 私が日本に着いて、真っ先に聞いたニュースが、関学生による折り鶴放火事件であった。事件についての論評はあえて避けるが、それにしても驚いたのは関西学院の素早い対応であった。 YAHOOで過去のニュースを時間軸にしたがって、確認したが、事件の翌日には学長が現地に赴いたようだし、学内ではボランティアなどによる折り鶴の制作が始まり、また全国から折り鶴がどんどんと届いているという。 危機状況における関学の広報力を見せてもらったような気がする。大学の学生が事件を引き起こしたことを、踏み台にしながら、関学の持つ結束力やボランタリー精神を前面に押し出し、論点のすり替えを行いながら美談に仕上げると言う力は、なかなかのものである。(一部、褒め殺しを含む。) ただ、重要なのは、単に美談として終わらせるのではなく、今回の事件の真因を解明し、大学としてその改善に取り組んでいくことだと思う。確かに、広報としては成功しているかもしれない。しかし、その広報の成功の故に、本来、受けとめなければならないものを無視するのではないかとの危惧を抱かないではない。まさか、容疑者の学生を退学処分として、それで一件を落着させようとするのであれば、キリスト教を根底にいだく関学アイデンティティーも崩壊しつつあると言わざるをえないのかもしれない。(のじま)