おい、大学教員たちよ

 日本ボランティア学会の大会で報告を行うことになった。テーマは「学生と市民社会」。研究者でもないので、学会なるものへ行くのは初めてである。もしかすると、私には知らない学会のなかでのマナーなどがあるのだろうか。もしかすると、小難しそうな顔をした、大学人たちにつるし上げられるのではないだろうか。うーん、学会というと、やっぱりアカデミックな雰囲気とともにある種の神秘性があって、初体験の私は、なかなか緊張していた。 そして、今日が発表本番。このところ、いろいろと業務が重なっていて、ろくに準備もできず、昨日の深夜にやっとこさ、極めて簡単なプレゼン資料をパワポで作り、どきどきしながら会場となった帝塚山学院大学へ向かう。 事務所を出る直前まで、「帝塚山大学」と思いこんでおり、奈良の学園前までの経路とかを調べていたのだが、事務所を出る直前に依頼書を読み返し、「帝塚山学院大学」であることが判明。九死に一生を得る。 そして、無事に、帝塚山学院大学に到着し、自分の発表をこなす。準備不足だったので、かなり不安であったが、他の発表が、私のよりも平凡で且つ私だけがプロジェクターを使ったため、結構見栄えもしたりして、コーディネーターからもそれなりに高い評価をいただく。 質問も積極的で、私も調子に乗り「学びの場としての大学という視点が発表にはありませんでしたが?」という質問に、「そもそも多くの大学はもはや学びの場ではない。単なる職業訓練学校ではあり、モラトリアムな期間を提供する場ではないのか?現に多くの大学がその就職率を誇るように大学案内に記載し、多くのスポーツ推薦を受け入れ、知名度を上げようとしているではないか。」と答える。それに対して、大きな批判があるものと覚悟しつつ、あえて答えたものの、その質問をした大学教員は、「まさしくそのとおり。よくいってくれた。」とのこと。確かに、企業の人事担当者は誰も学力を期待していないのに「知的緊張感」などとのたまう、某大学の学長よりは、潔いかもしれないが・・・。(まあ、その大学も、企業の人事担当者による「使える大学」ランキングに一喜一憂しているのだが。) うーん、大学がこうなったのは、学生のせいというよりは、それをよしとする教員や受験者や学生が増えればいいとする経営者たちが原因なのかもしれない。 私はそれでいいとおもっているが・・・。(のじま)